■「私にはぜんぜんが才能がないから、いくらやってもダメ」
■「あの人はセンスがいいから」
教室でよく聞く言葉です。
一緒に習い始めた友達が、どんどん上手くなるのを見て落ち込んだり…、
自分は上手いと思っていたのに、後から入ってきた人にあっという間に追い抜かれて、自信をなくしてしまったり…。
果たして、絵は本当に才能やセンスの問題なのでしょうか。
この記事では、「才能」と「努力」について考えてみたいと思います。
絵は本当に才能なのか
結論から言えば、僕はそうではないと思っています。
しかし…
大家の作品からは、圧倒的な才能を思い知らされますから、絵は才能だと言わざるを得ません。
そんな次元で考えれば、誰もがただの凡人に過ぎないということです。
ですから、凡人は凡人のやり方で描くしかありません。
才能云々を語っている場合じゃない。
幸いにして、先人たちはたくさんの良いお手本を、残してくれています。
こんなにありがたいことはないのです。
これらを参考にするだけで、作品は一味も二味も違ってきます。
内容を理解できなくても、使うことさえできればそれで十分です。
あとは描き続けるのみ。
でも、まぁ…
続けられるのも、才能だと言いますけどね。
上手さは描いた数に比例しますが…
すでに分かっていること、できることだけを繰り返しても、上達は期待できません。
これは当然のことです。
自分ができないことや、知らないことを取り入れながら、練習を積み重ねる必要があります。
人物画に対して苦手意識をもつ方も多いと思いますが、苦手だからといって、避けていれば上達はあり得ません。
しかし、年に数回でも回数を重ねて練習すれば、確実に上手くなっていきます。
当教室の一つアトリエ・サム なんば教室(旧心斎橋アートサロン)では、人物写生会に限り「昼の部」と「夜の部」を、一回のレッスン料で受講することができますが、昼と夜のレッスンを続けて受講している方に注目すると、その上達ぶりは顕著に現れています。
数をこなすことが、いかに大事なのかがよく分かります。
こういう方は、よほど人物を描くことが好きか、上手くなりたいという気持ちが強いのでしょう。
レッスンとレッスンの間の時間も、惜しんで描いています。
しかも…
■ なぜダメか。
■ どうすればいいか。
こういうことを自問自答しているのです。
単に数を積み重ねるだけではなく、実行と反省を繰り返している。
これは非常に大切なことです。
上達する人、しない人
「先生が描いてるところを見てると、よくわかるんだけどねぇ」
「言われないと気がつかないんですよ」
これらも絵画教室でよく耳にする言葉です。
苦戦している人がいると、説明をかねて隣で一緒に描きます。
こういうことを説明しながら描いていると、周りにいる人も集まってきて…
「あ~、なるほど」
「見ていると、よくわかるわぁ~」
…などと言い始めます。
もちろん、これらのことは以前に話をしていることですし、折に触れて何度も説明していることですが、いざ自分が描こうとすると、なかなか描けない人が多い。
でも、これは当たり前のことです。
話を聞いてわかった気になっているだけですから。
記憶として定着させるためには、何度も何度も繰り返し描くことです。
テレビでランニング講座を見ているとします。
・腕の振り方
・足の蹴り
・腰の回転
・呼吸法
などなど…
「なるほど、なるほど」と言いながら…
ドカーンと座ったまま、一所懸命に腕だけ振ったりしている (笑)。
それでやった気になって、実際には走らない。
しかも、次の日はもう忘れている。
そんなことで走れるわけないですよね。
教室に通っていれば上手くしてもらえる…と、思っていたら大きな間違いです。
上手くなっている人は才能があるわけではなく、ただ単にたくさん描いているだけのことなんです。
超えるべきは自分の作品
すぐに他人の作品と比べて、自分はダメだという人がいますが、人と比べる必要なんてありません。
超えるべきは自分の作品だからです。
以前の自分の作品と、見比べてみてください。
他人と比べるなら、制作に臨む姿勢を比べるべきです。
上手いかどうかは描いた数に比例しますから、毎日少しずつでも描き続けていれば、個人差はあれど、確実に上達するものです。
特に絵を始めたばかりの頃はどんどん上達します。
ところが、上手くなればなるほど、上達の度合いは小さくなっていきます。
こうなると他人と比べることが多くなる。
そして、また平たんな道が続く。
この平たんな道を、どれだけ我慢できるかです。
山に登るとします。
近所の公園のコンクリートの山なら、すぐに登れてしまいますよね。
家の裏山でもすぐに頂上まで登れるでしょう。
登ってしまえば、それより高いところへは行けません。
さらに高みを目指すなら、いったん山を降りて、その山よりもさらに高い山まで、移動しなければなりません。
高い山を目指そうとすればするほど、移動距離は長くなります。
だからこそ、昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分、さらには、一か月前の自分、一年前の自分と比べて、確実に前に進んでいることを確かめるのです。
他人が歩いているところを見ても仕方がないのです。
しっかり自分の道を歩き続けるしかありません。
描けないから、描かないでいいのか
「静物は描けるけど、人物は描けない」
「風景は描けるけど、人物は描けない」
これも、よく耳にする言葉ですが変な話です。
人物が描けないなら、静物や風景も描けているはずがないのです。
だから時には、難しいモチーフにも挑戦してほしいと思います。
わざわざ難しいモチーフを、大変な思いをしてまで、描く必要はないのかもしれませんが、だからといって描かなければ、いつまでたっても上達は望めません。
難しいことにも挑戦するという人も、積極的に取り組んでいる人が、果たしてどれくらいいるでしょうか。
■ 描けないけど描く。
この差は大きく分かれます。
「描きたいもの=描けるもの」になっていませんか
教室に長く通っている方から、「何を描けばいいでしょうか」と聞かれることがあります。
「何か描いてみたいものはありますか」と尋ねてみると、これといって描きたいものはなさそうです。
そんな時…
「自画像を描いてみたらどうですか」と勧めます。
すると、必ずと言っていいほど…
「自画像なんて嫌です」という答えが返ってきます。
自画像は練習にはうってつけなんですけど、嫌がる人はけっこういます。
「じゃあ、遠近法の勉強として、部屋のこの辺りを描いてみましょうか」と勧めてみます。
「遠近法なんて無理です」と、予想通りの答え。
仕方がないので…
「自分が描きたいものを描きましょうか」と言うと、結局いつものモチーフを選んでいます。
仮にそれがワインボトルだとしましょうか。
「勉強になりますから、今回は斜め向きに寝かせて、描いてみましょう」なんて言ってみると、「描いたことないし無理です」などと仰る。
おいおい!
描いたことがないから、描くんですよ。
一通り基本的なことが理解できているならば、同じテーマを繰り返し追求することもいいでしょう。
しかし、勉強段階にあるなら、様々なモチーフを描いてみるべきです。
(あくまでも、上手くなりたいと思っていることが前提です)
努力する精神をもってほしいのです。
あなたは、「描きたいもの=自分が描けるもの」になっていませんか。
最後に
「好きこそものの上手なれ」という諺があります。
結局、才能というのは、どれだけ好きでいられるかではないでしょうか。
描きたくて描きたくて仕方がない、という気持ちがあるなら、それは立派な才能だと思います。
その気持ちさえあれば、あとは努力と訓練である程度のところまでクリアできます。
今どき努力なんていう言葉は流行らないかもしれませんが、コツコツ積み重ねたことは裏切らないので、たとえ伸び悩む時期があっても、諦めないで続けてほしいと思います。
遠近法、色彩、人体、構図などの講座ブログは、「絵画講座 / インデックス」として、まとめてありますので、ご活用いただければ幸いです。
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