京都の絵画教室KBSカルチャー八幡校で、石清水八幡宮へ風景スケッチに行ってきました。
緊急事態宣言発令中ということもあり人影はまばら。
しかも快晴!
絶好のスケッチ日和です。
この日は、一点透視図法を踏まえた建物の描き方を練習しました。
風景スケッチのポイント
描く範囲
大きな南総門を目の前にすると、どこから手をつけていいのか分からなくなります。
しかも、その周辺には魅力的な建物やご神木がありますから、つい、あれも描きたいこれも描きたいと欲張りになってしまいます。
風景画を描く時のポイントは、描くものを絞ることです。
決して欲張ってはいけません!
目安として、約45°くらいの範囲を描くとよいでしょう。
透視図では、60°を超えた範囲は歪みが生じるので、この範囲内に留めるように描きますが、スケッチではもう少し範囲を狭める方が上手くいきます。
一点透視図法で押さえておくべきポイント
透視図法は決められたルールの中で対象を見る方法です。
これを理解しておかないと、自分が見ている風景と透視図とのギャップに違和感を覚え、つまずくことになるので確認しておきます。
立点‥どこで見るか
透視図の基本的なことをある程度理解できても、いざ建物を目の前にすると手も足も出ないものです。
ここで簡単に復習しておきましょう。
一点透視図法で描く場合、建物の一つの壁に真っすぐ向かって位置します。
ですから、正面の形は縦横比をそのまま描けばいいのです。
水平方向と垂直(鉛直)方向の線はすべて、真っすぐ「横」、真っすぐ「縦」に引きます。
消失点はどこにあるか
次に消失点を決めます。
これは決めるのではなく、自分が描く場所を決めた瞬間に決まっているのです。
観賞者から正面の南総門に向けて真っすぐ視線を送り、ぶつかったところに消失点があります(図1)。
この視線に平行な線は全て一つの消失点に集まるのですが、広い範囲を見て描く時、どの線が平行になっているのか、慣れていないと気が付かないものです。
また、建物の屋根の棟や軒先などは、透視図に表すと大きく傾いた線になります。
ここに違和感を覚える方も少なくありません。
これは形の恒常性が働くからです。
形の恒常性
形の恒常性とは、見る方向によって網膜の像が変化しても、対象が同じであると知覚できる神経メカニズムを指して言います。
例えば、長方形の本やタブレットは見る角度によって台形に見えたり、真一文字に見えたりしますが、私たちはその本やタブレットが、長方形であることを疑いません。
建物のパースラインも、その一例となります。
どこから描くか
一点透視図法の場合、正面の壁から描きます。
今回は南総門です。
縦横の比を正確に測って描きます。
正確に…と書きましたが、神経質になる必要はありません。
見た目の印象が合っていれば十分ですが、ここで描いた形がすべての基準になるので、極端にかけ離れた形を描くと後に影響します。
一点透視図法のパースライン
一組の平行線はすべて一つの消失点に集まるので、図1の位置で見るパースは図2のようになります。
消失点は(水平線上)目の高さにあるので、立って描くか座って描くかによって上下します。
※ パースラインからズレたところもありますがお許しを????
参道や左の建物のパースラインは、奥側の位置を門との関係から割り出し、消失点と結びます。
例えば、棟の位置《A》は、門一つ分くらい左にあります。
高さは門との関係から決めます。
現場で描いたスケッチです。
参道の左側で描いたので、消失点も左にあります。
目の高さは椅子を使わなかった分だけ、先ほどの説明より低い位置にあります。
一点透視図法を使った描き方はそれほど難しくありません。
ぜひ、いろいろな場所を描いて練習してみてください。
✅ 次のリンクでは、外観パースと室内空間パースについての描き方を解説しています。
あわせてご参照いただくと、一点透視図法についてより理解を深めることができるはずです。
石清水八幡宮とその周辺を散策してみました
本殿へは、京阪「石清水八幡宮」よりケーブルカーに乗って上がります。
参道を歩いて登る方法もありますが、これはかなりの坂道が続くので大変です。
南総門
南総門から社殿を見ると、社殿が少し斜めに建てられていることが分かります。
これは参拝して帰る際に、八幡大神様に対して真正面に背を向けないためなのだとか。
御本社(国宝)
スケッチをした南総門を抜けると、国宝の御本社があります。
創建は貞観元年(859)、その後何度か再建を繰り返し、現在の御本社は寛永元年(1634)に徳川家光によって修造されました。
校倉「宝蔵」 (江戸中期:京都府指定文化財)
建築年代は不明ですが、類例の少ない校倉建築として、平成21年3月に京都府より文化財の指定を受けています。
石清水社 (江戸中期:京都府指定文化財)
石清水社は、石清水八幡宮の摂社の一つで、天御中主命を祀っています。
現在も岩間から清水が湧き出ており、社前の鳥居は寛永12年(1636)京都所司代板倉重宗が寄進したものです。
エジソン記念碑
撮影が上手くできず、石碑の様子がはっきりしないので、石清水八幡宮の公式サイトより引用した写真も併せて掲載しておきます(現在、リンク先のページは存在しません)。
世界の発明王エジソンが白熱電球のフィラメントに、日本の竹を使ったことをご存知でしょうか。
その竹は、京都の八幡市男山周辺の真竹でした。
この竹を使用した電球は1,000時間以上も輝き続けたのです。
このエジソンと八幡市男山との縁から、昭和9(1934)年、石清水八幡宮境内の隣に「エジソン記念碑」は建立されます。
その後、昭和33年(1958)年に現在の位置に移転され、昭和59(1984)年にはデザインも一新されました。
男山展望台
宇治川・桂川・木津川の3川をはさんで天王山を望む大パノラマが広がります。
この日は雲一つない快晴、眺めは最高でした。
谷崎潤一郎文学碑
男山展望台にある谷崎潤一郎文学碑。
蘆刈抄の一文が刻まれています。
碑文の字は、昭和8年に刊行された潤一郎自筆本によるものです。
わたしの乗った船が洲へ漕ぎ寄せたとき男山はあたかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして全山の木々の繁みがびろうどのやうな津やをふくみ、まだどこやら夕ばえの色が残ってる中空に暗く濃く黒ずみわたってゐた
頼朝松
「男山考古録」によれば、源頼朝公が奉納したと伝えられる「六本松」のことが記されており、その唯一の生き残りの松が昭和22年の落雷で焼失したらしい。
現在の「頼朝松」は昭和30年に奉納された2代目です。
飛行神社
飛行神社は飛行機の神饒速日命と、航空事故の犠牲者などが祀られています。
ギリシャ風の拝殿があり、日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が創建しました。
最後に
石清水八幡宮とその周辺には、まだまだ見どころがたくさんあります。
ぜひ、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
■ 「坂元忠夫の絵画教室」については、以下のリンクをクリックの上、ご参照ください。
遠近法、色彩、人体、構図などの講座ブログは、「絵画講座 / インデックス」として、まとめてありますので、ご活用いただければ幸いです。
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