
後期印象派を代表する画家であり、近代絵画の父と呼ばれるセザンヌには根強いファンが多い。
しかし、彼の性格、生活環境、交友関係まで知る人が果たしてどれほどいるのでしょうか。
この記事では、セザンヌのそんな側面を、彼の作品や生涯に触れながら、探っていきたいと思います。

この映画はセザンヌの性格を知る上でも興味深く、セザンヌファンなら見逃せない一本です。
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近代絵画の父、セザンヌの作品
『白と黒の静物』1871~72年|オルセー美術館

別名『錫の湯沸かしのある静物』というタイトルでもあり、初期の静物画を代表する作品の一つです。
盛り上げられた絵の具の筆触が、モチーフの立体感や質感の表現に不可欠なものとなっています。
『果物籠のある静物』1890年|オルセー美術館

壺は上から見たように描かれ、籠は横から見たように描かれているなど、複数の視点が見られます。
視点を固定した透視図法的な見方をするという大前提は崩れました。

この考え方は、後のキュビスムに受け継がれていきます。
セザンヌが「近代絵画の父」と呼ばれる理由はここにあります。
『水浴図』1898~1905年|フィラデルフィア美術館

晩年の7年間を費やして制作されたこの作品は、1905年のサロン・ドートンヌに出品され、若い画家たちに強く印象づけました。
『赤いチョッキの少年』1880~90年|ビュルレ・コレクション

この絵はいったいどうなっているのか、わかりにくい部分が多い。
『赤いチョッキの少年』の油彩には4点の連作があり、それらを見ると人物と周りとの関係が理解できます。
『赤いチョッキの少年』1880~90年|ニューヨーク近代美術館

ニューヨーク近代美術館所蔵の作品を見ると、この少年が茶色いズボンを履き椅子に座っていて、しかもその座面は白と青のストライプ。
ビュルレ・コレクションで一見ベッドのように水平な面にも見える背景の白い部分は、この作品で壁のような垂直面だとわかります。
『赤いチョッキの少年』1880~90年|バーンズ・コレクション

背景は単なる壁でしょうか。
だとすると、頭を横切る茶色い横線は長押と言えそうです。
ただ、これはビュルレ・コレクションの作品では、人物の右腕側でへの字に曲がっているので、ソファの背のようにも見えますが断定はできません。
『サント=ヴィクトワール山』1904年|フィラデルフィア美術館

生涯の終わりに向かって、セザンヌの絵画は熱情的で自由奔放になっていきました。
透明な絵の具を含む筆触は、立体の面を暗示するとともに、入り混じる量塊を表す造形的な単位となっています。
近代絵画の父、セザンヌの言葉 「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱う」
セザンヌの言葉でも特に有名な一節「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱う」は、後のキュビスムの画家たちが大切にし、新しい造形の基盤としたという事実があります。
ここに着目するとセザンヌが切り拓いた造形は、反自然主義的だと誤解されなくもないのですが、実はそうではありません。
この言葉は、ベルナールに宛てた手紙の中で…
・・・水平線に平行する線は広がり...水平線に対して垂直の線は深さを与えます。
ところでわれわれ人間にとって、自然は平面においてよりも深さにおいて存在します。
そのため、赤と黄で示される光の振動の中に、空気を感じさせるために必要なだけの青系統の色を導入する必要が生じます。」
…と続いています。

つまり、セザンヌは自然が持つ広大な奥行きを遵守しているということになります。
この一節をキュビスムの画家たちが無視したことで、セザンヌの哲学に誤解を与えているのです。
近代絵画の父、セザンヌの生涯
セザンヌ生誕とセザンヌ家について
ポール・セザンヌは1839年南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれました。
父のルイ=オーギュストは帽子屋を経営しており、大変繁盛していました。
彼が40才の頃に関係を持った女性店員がポールの母となります。
ルイ=オーギュストは、より利幅の大きいビジネスを知り帽子屋をやめると、銀行を手に入れて巨万の富を得ます。
しかし、階級差に厳しいフランスでは、セザンヌ家は上流階級に受け入れられなかったのです。
また下層階級の人たちも別の意味で避けるようになり、セザンヌ家は社会から疎外された存在となってしまいます。

気難しいポールの性格は、村八分となってしまったセザンヌ家の家庭環境によるものではないか、という人もいるくらいです。
この気難しいポールを、ギヨーム・ガリエンヌが映画「セザンヌと過ごした時間」 の中で好演しています。これがまたセザンヌに似てるんですよねぇ。
親友 エミール・ゾラとの出会い
ポールはコレジ・ブルボン(高校程度の学校)に進み、ここで一学年上のエミール・ゾラと出会い親交を結びます。
当時は二人とも詩人に憧れていました。
ゾラによれば、詩はポールの方が上手かったらしい。
学業成績は二人とも優秀で、学年で二番でした。
ゾラは奨学金を受けていましたが、それでもゾラの家は大変貧しく、彼の母親は息子を連れてパリに去ります。
画家を志すセザンヌ
ポールは父親の意思で大学の法学部に進学するも、一学年の試験が終わると父親に「画家になりたい」と言い出します。
1861年、彼が22才のときでした。
父のルイ=オーギュストは反対しますが、ポールは父を説得してパリに向かい旧友エミール・ゾラと再会します。
ポールには十分な仕送りがあったので、画塾に通い始め恵まれた学生生活を送っていました。
しかし、パリという大都会には馴染めず、一度郷里に帰り父の銀行に勤めています。
印象派の影響
二度目のパリ時代に、ポールはエミールと共に落選美術展に赴きます。
そこで彼は、ホイッスラー、ピサロ、ギョーマン、マネらの作品に強い感動を覚えるのです。

特にマネの『草上の昼食』には感銘を受けました。
それがきっかけとなって印象派の画家たちと出会います。
ギュメ、ピサロ、ギョーマン、ラトゥール、ドガ、ルノワール、モネ、シスレー、マネらです。

中でもマネは、このグループの指導者的存在でした。
セザンヌ(これより、「ポール」から「セザンヌ」と書きます)はマネの作品に感動しているにもかかわらず、ある種の拒否反応を示していました。
それはつまり、傷つきやすい自身の内面を守ろうとする行為でもあったのです。
セザンヌは印象派の画家たちと交流がありながら、印象派の画家たちの影響を受けませんでした。
この時代の彼は、性と女に対して荒々しい情熱と欲求不満をもっていました。
親しい人の肖像画を除けばこの種の作品が多く、それはセザンヌが色情的というのではなく、抑圧された感情がキャンバスにあふれ出ただけなのでしょう。
この時期に『ナポリの午後』という作品をサロンに出品し落選しています。

1872年、セザンヌが33才のとき、オルタンスとの間に長男ポールが誕生。
ピサロのいるオーヴェールで、彼の影響を受けながら制作を始めました。
抑圧された感情を描くのではなく、外の世界を描くことで自分の内面をキャンバスに忍ばせることを教えたのはピサロです。
この時期の代表作として『首吊りの家』があります。

サロン初入選と当時の私生活
その後、1879年にピサロの勧めを断って印象派展には出品せず、 サロンに出品しますが落選。
結局、彼がサロンに初入選するのは43才の時でした。

この入選は審査員であったギュメの強力な推薦があってのことです。
しかもセザンヌは彼の弟子ということになっていました。
もうほとんど裏口入選ですね(笑)。
1886年、ゾラの発表した『制作』にセザンヌは激怒します。
その主人公はセザンヌそのもので、才能がありながらも花開かず、20年も精進した末に首を吊ってしまうというストーリ―だったからです。
これを機に2人の交友は完全に断たれてしまいます。
ゾラが亡くなるまでセザンヌは彼を許すことはありませんでした。
ゾラと絶好してほどなく、セザンヌはオルタンスと結婚します。
父のルイ=オーギュストも亡くなり、 セザンヌは50才を前にしては莫大な遺産を相続します。
その頃、郷里にいた彼はまだ知りませんでしたが、彼の仕事は次第に有名になりつつあり、殊に若い画家たちから尊敬されていたのです。
初個展から近代絵画の父へ
画商ヴォラールにセザンヌの個展を開くことを勧めたのはピサロでした。
評論家は厳しい評価を下しましたが、ピサロは息子ジョルジュへ宛てて、セザンヌの作品を絶賛した内容の手紙を送っています。

1900年、フランス芸術100年展に出品します。
名声は高まって国外にもおよび、ベルリン国立美術館が作品を購入します。
これ以降、 アンデパンダン展、サロン・ドートンヌなど、積極的に作品を出品するようになります。
1906年、屋外で制作中に夕立に遭ったことが原因となり肺炎を発症しこの世を去ります。
67才でした。
映画「セザンヌと過ごした時間」あらすじ
学校でいじめを受けていたゾラを、セザンヌが助けたことをきっかけに、2人は友人になります。
境遇は違っても芸術家を志す2人ですが、先にパリに進出したゾラは小説家として成功を収める一方、同じくパリに出て画家を目指したセザンヌは、なかなか評価されないばかりか転落していきます。
そんな時、ゾラが発表した新作の小説『制作』により、40年にわたる2人の友情に亀裂が入ってしまうのだが…。
2016年|フランス
再生時間:114分
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映画「セザンヌと過ごした時間」 キャスト / スタッフ
~キャスト~
エミール・ゾラ / ギヨーム・カネ
ポール・セザンヌ / ギヨーム・ガリエンヌ
アレクサンドリーヌ・ゾラ / アリス・ポル
オルタンス・セザンヌ / デボラ・フランソワ
アンヌ=エリザベート・セザンヌ / サビーヌ・アゼマ
ルイ=オーギュスト・セザンヌ / ジェラール・メラン
エミリー・ゾラ / イザベル・カンドリエ
ジャンヌ / フレイア・メイヴァー
アンブロワーズ・ヴォラール / ロラン・ストケル
ピエール・イヴォン
ニコラ・ゴブ
ユーゴ・フェルナンデス
ルシアン・ベルヴェス
~スタッフ~
監督 / ダニエル・トンプソン
音楽 / エリック・ヌヴー
脚本 / ダニエル・トンプソン
製作 / アルベール・コスキ
「セザンヌと過ごした時間」を見終わって
晩年は若い世代の画家たちから支持され、美術界からも高い評価を受けるセザンヌですが、そうした場面はほとんど描かれていないので、どちらかと言えば、この映画のセザンヌはあまり良い印象ではありません。
なので…

セザンヌファンならば、セザンヌの人となりに注目して観るのがいいと思います。
映像も美しく、セザンヌが見たエクス=アン=プロヴァンスの風景を、彼の絵画そのままに映し出しているようでした。
セザンヌが好きだという方にはぜひお勧めしたい映画です。
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最後に
はっきり言うと、セザンヌは絵が下手でした。
当然、時代と社会はセザンヌを拒否し、親や友人も期待するはずもありません。
一部の批評家や若い画家たちに認められるのは、セザンヌが50才を過ぎてからです。
この間、セザンヌは唇を噛み締めて自分の表現を模索し続け、晩年になって19世紀と20世紀を結ぶ役割を果たすのです。
ピカソからは「我々の父」、マチスからは「絵の神様」と呼ばれました。
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