■ ゴッホは自殺か他殺か
■ 映画紹介「永遠の門 ゴッホの見た未来」
孤独でドラマチックに生きた画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。
今さら語るまでもないほど書籍化や映像化されています。
そんなゴッホですが、耳切事件やピストル自殺など強烈なエピソードが先行し過ぎているあまり、実際の人となりを見過ごしている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、ゴッホの作品に触れながら、彼の短い生涯と人となりを辿ってみたいと思います。
また、ゴッホの他殺説を取り上げた映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」についても紹介します。
ゴッホを演じるウィレム・デフォーのそっくりぶりは必見です!
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ゴッホの作品について
ここでは代表作の8作品を取り上げて解説します。
『馬鈴薯を食べる人びと』ヌエネン時代:1885年5月|国立ヴァン・ゴッホ美術館
オランダ時代には暗い色調の絵が多く、ヌエネンで制作した『馬鈴薯を食べる人々』はこの時代の集大成と言えます。
この作品については、繰り返しテオに語っていることがあります。
だから、この絵は『手の労働』を語っているのであり、いかに彼らが、正直に自分の糧を稼いだかを語っているのだ」
この作品には農夫に対する理想化や感傷などはまったく存在しません。
ただ単に自然と戦う農夫の厳しい生活があるだけなのです。
『タンギー爺さん』パリ時代 :1887~88年|ロダン美術館
パリのタンギー爺さんの画材店は、当時の若い画家たちにとって、聖堂のような場所でした。
ゴッホもこの店の常連であり、タンギー爺さんとも親しく付き合いました。
タンギー爺さんもまたゴッホの人柄を愛し、ゴッホの埋葬にも立ちあっています。
背景に描かれているのは、葛飾北斎、歌川広重、渓斎英泉などの浮世絵です。
浮世絵からインスピレーションを受けるのは、この作品を描く直前でした。
『アルルの跳ね橋』アルル時代:1888年3月|クレラー・ミュラー美術館
モチーフのラングロワ橋は、アルルからブークに流れる運河にかかっていました。
浮世絵の明確で簡潔な構図を求めたゴッホにとって、この跳ね橋は恰好のモチーフとなり、趣きの異なる5点が残されています。
特に、この作品については、歌川広重の「大はしあたけの夕立」に影響を受けたことが指摘されています。
『ひまわり』アルル時代:1888年|ファン・ゴッホ美術館
ゴッホは全部で7点の『ひまわり』を制作しています。
アルル周辺では、油を取るために数多くのひまわりが栽培されており、ゴッホにとって身近なモチーフであったと言えます。
光を描こうとしたゴッホにとって「ひまわり」は太陽の象徴であり、ゴッホそのものであったのでしょう。
ゴーギャンもゴッホの『ひまわり』を好み、「これこそ花だ」と言ったそうです。
『カンヴァスの前の自画像』パリ時代:1888年|ファン・ゴッホ美術館
ゴッホのように執拗に自画像を描き続けた画家も珍しいのではないでしょうか。
その一因として、彼の性格や孤独な生活が影響していると言えます。
このパリ時代の自画像は、彼が点描的スタイルを消化したことをはっきりと示していますが、新印象派の冷静な審美的作品とは対照的と言えるほど熱っぽい。
『種まく人』アルル時代:1888年6月|クレラー・ミュラー美術館
ゴッホは生涯を通じてミレーを敬愛しました。
その作品の模写も数多く行っています。
この作品もミレーの『種まく人』から発想を得ていますが、テオに宛てた手紙の中で「ミレーの『種まく人』は色を殺した灰色だ」と指摘している。
しかし、ゴッホの『種まく人』は色彩それ自体によって象徴的な言葉で語られ、ミレーとの個性の違いを明確に示しています。
『夜のカフェテラス』アルル時代:1888年9月| クレラー・ミュラー美術館
テオに宛てた手紙で「夜の情景や夜の効果を即座に描くこと、夜そのものを描くこと、僕はこの問題に夢中になっている」と書いています。
さらにこの作品について、「二番目のは、或るカフェの外側を描いたものだ。テラスの上は、青い夜の中で輝く大きなガス灯で照らし出されている。星の輝く青い空の一角が見える」と続けている。
彼は「まさしく夜そのもの」を作り上げたのです。
✅ ゴッホの作品は幾何学的に計算されているのではないかと思える構図が多い。
興味のある方は次のリンクをご参照ください。
『星月夜』サン=レミ時代:1889年6月|ニューヨーク近代美術館
1884年4月、テオに宛てた手紙の中でゴッホは、「それにまた、糸杉のある星の夜空か、あるいは熟れた麦畑のうえの星の夜を描かねばならない。ここには、実に美しい夜がある」と書いています。
その1年後、サン=レミでこの課題を果たしました。
この作品は単なる視覚的効果を越え、ある種の神秘的な幻想性を湛えています。
表現主義的に描かれた空は画面の3分の2を占め 、光の渦のような星が煌めいている。
この空と地上を結ぶ役割を果たす前景の糸杉は、死の象徴とみなされています。
ゴッホの黄色
ゴッホの作品は黄色みを帯びて見えますが、それはいったい何故でしょうか。
諸説ありますが、その中の一つに視界が黄色みがかって見える「黄視症」ではなかったかという説があります。
これはゴッホがてんかんを罹患しており、その当時の治療薬としてジギタリスが処方されていたためではないかと主張する学者がいるからです。
「黄視症」はジギタリス中毒の教科書的な症状の一つだそうです。
しかし、弟「テオ」に宛てた手紙には「黄色が最も美しい」と書いているので、単に黄色が好きだっただけなのかもしれません。
ゴッホの生涯
ゴッホの誕生と生誕地
フィンセント・ファン・ゴッホは、1853年、オランダの片田舎で新教の牧師の長男として生まれました。
彼の生まれた村「フロート・ズンデルト」はベルギー国境に近く、人々は束の間の夏を除けば、陰鬱な雲に覆われた鉛色の世界で過ごしています。
ゴッホが後に訪れることになる、南仏「アルル」の光あふれる世界とは対照的です。
このことは、色彩画家ゴッホを知る上で重要なポイントになります。
もし彼が、北欧ではなく南欧に生まれていたとしたら、彼の天才性は開花していなかったかもしれないからです。
ゴッホの性格と勤労時代
中学校を卒業したゴッホは、伯父の口ききでグービール商会のハーグ支点に勤めます。
業種は画商ですが、これは将来絵を描くために選んだのではなく単なる偶然です。
風采が上がらず人と接触することも不器用で、セールスマンとしてゴッホは無能でした。
特に弟のテオに宛てた手紙は658通に及びます。
ゴッホは職を転々としていますが、いずれもうまくいきません。
不祥事を起こして解雇されたという具合ではなく解雇されているのです。
不器用で人とうまくコミュニケーションが取れず誰からも好かれません。
何度か恋もしますが、すべて片思いに終わってしまいます。
画家として
27才の時、ブリュッセルで美術学校に入学します。
この間の生活費は弟のテオの送金でまかなっていましたが、その送金も十分ではなくわずか1年でここを去ります。
耳切り事件
ゴーギャンとの共同生活は最初から危険を孕んでいました。
その生活はわずか2ヵ月で終わりを迎えてしまいます。
12月24日、ゴッホはゴーギャンに切りかかろうとして失敗し、自宅に戻った後自分の左耳を切り落としてお気に入りの娼婦ラシェルに届けるのです。
精神のバランスを失ったゴッホは病院に運ばれますが、翌1月に退院し2点の自画像を制作しています。
この作品はその内の1点です。
???? この絵は鏡に写った自分を描いているため、実際の状況とは逆になっています。
映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」 の映像とは逆になっているので、映画を観る方は違和感を覚えるかもしれません。
生前に売れた唯一の作品 『赤い葡萄畑』
1889年の春、ゴッホは自らサン=レミの精神科療養院に入院します。
発作と闘いながら、窓からの景色などを精力的に制作。
翌1990年、ブリュッセルの展覧会に出品した『赤い葡萄畑』が売れます。
価格は400フラン (現在の貨幣価値に換算すると30万円程度)でした。
この作品は現在、モスクワのプーシキン美術館に収蔵されています。
ゴッホの最後
1890年5月、ゴッホはサン=レミを去りオーヴェールに移ります。
ガッシェ医師のもとで過ごし制作を続けます。
彼の創作活動はとどまることがなく、麦畑に魅かれていることを手紙で母親に知らせています。
「とても柔らかい黄色と、とても薄い緑と、とても静かなモーヴ色をしており…」と。
しかし、絶筆となった『鳥のいる麦畑』はその手紙の内容とはまるで別の様相を示している。
1890年7月27日、彼の描いた麦畑でピストルを取り出すのです。
ゴッホは腹部に出血しながらも一旦自宅に戻ります。
しばらく容体は安定してはいましたが、2日後の7月29日、ゴッホは帰らぬ人となりました。
37才でした。
ゴッホの他殺説
ゴッホは麦畑でピストル自殺をしたというのが定説となっていますが、いくつか不可解な点があるとも言われています。
ピストルはどこで手に入れたのか
2019年6月19日、 パリの競売会社ドゥルオはゴッホが自殺に使ったとみられるピストルが、16万2500ユーロ(約2千万円)で落札されたと発表しました。
「芸術史上最も有名な武器」とも言われるこのピストルは、ゴッホがパリ北方の村に滞在していた宿屋から借り、自らを撃つのに使ったとみられています。
ゴッホの死から約70年後、現場付近で発見されると、同じ宿屋を営む親族に引き渡されました。
銃の口径と医師の診断書に残された銃弾は一致しているという。
貫通しなかった銃弾
自殺しようと至近距離から放たれた銃弾は、 貫通せず左腹部の肋骨あたりで止まっていました。
これは、ある程度離れたところから撃たれたと考えられるのです。
少年たちによる誤発砲
ゴッホは十代の少年たちから、手ひどいイタズラを受けていたことが目撃されています。
コーヒーに塩を入れられたり、絵の具箱にヘビを入れられたりなどです。
その少年たちが悪ふざけをして撃った弾が、ゴッホに当たってしまったという説があります。
当時、パリ万博の影響で一大西部劇ブームが巻き起こっており、その少年たちもカウボーイの姿に拳銃まで持っていました。
ゴッホはその格好をした少年をスケッチしています。
✅ この説に興味のある方は、この本の「フィンセントの致命傷に関する注釈」をご覧ください。
映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」
あらすじ
パリでは全く評価されないゴッホ(ウィレム・デフォー)は、ゴーギャンの一言で南フランスのアルルにやって来ます。
黄色い部屋を借り、ゴーギャン(オスカー・アイザック)との共同生活を始めるも長くは続きません。
地元の人たちとの問題も絶えることがありません。
孤独を抱えるゴッホを支えたのは描く情熱だけでした。
やがて「未来の人々のために、神は私を画家にした」との境地に至ります。
そんな彼の瞳に最期に映し出されたものとはいったい何だったのか…。
2018年|イギリス
再生時間:1時間51分
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キャスト / スタッフ
~キャスト~
フィンセント・ファン・ゴッホ
ウィレム・デフォー
テオ・ファン・ゴッホ
ルパート・フレンド
聖職者
マッツ・ミケルセン
ポール・ガシェ医師
マチュー・アマルリック
ジヌー夫人
エマニュエル・セニエ
教師
アンヌ・コンシニ
ポール・ゴーギャン
オスカー・アイザック
~監督~
ジュリアン・シュナーベル
~音楽~
タチアナ・リソヴスカヤ
~脚本~
ジャン=クロード・カリエール
ジュリアン・シュナーベル
ルイーズ・クーゲルベルク
~製作~
ジョン・キリク
映画「永遠の門 ゴッホの見た未来 」 を見終わって
37才のゴッホを演じるのはウィレム・デフォー62才。
だからといってまったく不自然さはない…というよりゴッホそのもの。
耳切事件後に包帯を巻いた姿は、ゴッホ本人じゃないのっていうほどそっくり。
ゴッホの人生は非常にドラマチックで、そればかりが大きく取り上げられることが多いと思います。
しかし、この映画に見るゴッホは、冴えない風体で人付き合いも不器用。
ここに、ゴッホを語る上での本質があるのではないでしょうか。
心に残る台詞が随所にあり、ゴッホファンならずとも、見る価値は十分にある映画です。
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(※ アンケートが表示されますが答えなくても構いません)
最後に
ゴッホは画家を志した27才から亡くなる37才までのわずか10年間で、油彩画860点を含む約2,000点の作品を残しました。
43歳で亡くなったフェルメールの現存作品数は35点程度なので、これは極めて多作といえます。
遠近法、色彩、人体、構図などの講座ブログは、「絵画講座 / インデックス」として、まとめてありますので、ご活用いただければ幸いです。
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